先週、映画を2本見ました。
1本目は皆さまご存じ「劇場場FF14光のお父さん」。そして2本目が「レディ・プレイヤー1」という、2作とも仮想現実のゲーム世界を描いた映画です。
「レディ・プレイヤー1」は、「光のお父さん」の原作者であるマイディーさんが電ファミゲーマーさんで紹介記事を書いていたなあと思い出し、ネトゲ映画という流れで続けて見ました。
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オンライン空間
2021年現在ではゲーム=オンライン化が当たり前となっており、『オンラインゲームは面白い』ということは当たり前の概念となってきています。
そのなかでも、直接人とやり取りすることの多いMMO(Massively Multiplayer Online)ってやっぱり凄いよなあ、と映画を見て素直に思いました。同時に、「現実」と「仮想現実」という2つの世界の狭間にいる自分に、今更ながらに深く考え込んでしまいました。
私がチャットしている相手や、マッチングして一緒にプレイしているキャラたちは明らかに「人間」です。
だとしても、私が仮想世界で会話をしているのは「キャラクターそのもの」となのか、それとも「中の人」となのか。2作を視聴した後に、これが私の心の底に残りました。
ロールプレイとなかのひと
現実とは全く違う姿で楽しむことができる、という点は仮想世界の大きな楽しみの一つです。
オンラインゲームにはロールプレイ(RP)という遊び方があります。実際に、FF14ではRPという状態を示すマークさえあり、RPは一つの遊び方として許容されています。
一時期、私は完全に「ネット世界」と「現実」は別と割り切って遊んでいた時期がありました。ほとんど現実をにおわすような会話はせず、相手に現実世界の話も振らない。アバターこそが仮想世界の私であり、なかのひとなんていない。文字だけの世界なら、それができる。
一昔前、「ネット世界は怖いもので、リアル情報を出したらいけない」という暗黙の不文律のようなものがあったことも理由の一つです。
しかしながら、ボイスチャット(VC)といわれる声でのコミュニケーションや、SNSの普及などでそうもいかなくなりました。どうしても中の人の何かがはみでてしまう。
「におう」とか「感じる」とかではなく、何か「はみでてくる」。
これはどうやっても回避することができません。
もし技術が進んで違和感のほとんどないボイスチェンジャーが登場したとしても、話し方だとか相槌、訛りなどで個性がかなり出るでしょう。さらに技術が進み、話したことを別人が話したように翻訳して喋ってくれる技術が登場すれば…別人になり切れる、かもしれません。
やっぱり、キャラクターっていうかアバターはイコール中の人なんですよね。
私はそう思えます。仮面をかぶった人みたいな。
ゲームの世界にいるプレイヤーたちは確かに「人間」です。
しかしそれは仮の姿であり、本当の姿ではない。。
キャラクター=なかのひと と安易に紐づけてはダメだ。
ここを踏まえてから、仮想世界に飛び込んでいかなければなりません。
すべては「仮想」なのだ
そして、アバターと現実世界の姿の差があればあるほど、全くそんな気がないのに「相手を騙しているのではないか?」という謎の罪悪感が生まれてきます。しかし、仮想現実では現実と姿が違うのが当たり前であり、故意的に欺いていない限りその罪悪感は見当違いなものであるはずです。
仮想世界の相手に夢を見る場合であっても、現実とは違うんだと境界線を引いたうえで夢を見なければなりません。辛いけれど、これこそが「現実」なんだよね…。
仮想現実起点の「レディ・プレイヤー1」においては現実と仮想現実との差に悩む登場人物が多い中、現実起点の「光のお父さん」においてはこの点にほとんど触れていないのも興味深かったです。
しかし現実世界とアバターは違うものだと踏まえたうえで「中の人同士のコミュニケーション」が生まれるのならば、仮想世界という空間は未知の可能性を秘めた素晴らしいコミニュケーションツールになり得るでしょう。
映画で一番好きだった登場人物
私がこの2本の映画で一番好きな登場人物は(ネタバレ回避のためにぼかしますが)以下のような背景を持つ登場人物です。
現実世界では普通の可細い女性が、仮想現実の世界でゴリッゴリのマッスル。しかも現実世界において好きな人にキャラが知られているにも関わらず、恥じらいも何もなくフツーに現実でも仮想現実でも仲良く過ごしている。
いや~これは凄いなと。
彼女にとっては「仮想現実」は「仮想現実」でしかなく、「現実」とは全く別のもの。どんな姿であろうが、中の人が分かっている=現実とかけ離れ過ぎた姿のキャラであっても気にすることもない、という事の現れなのだと思います。
しかし、一般的ネットゲーマーは最初から中の人がどんな人なのか、全く分からないわけです。キャラクター(アバター)から中の人のことを知っていくことになるわけで、キャラと実物との差があまりにも激しい場合はそのギャップに悩んでいくということになります。
現実起点の彼女には、このような悩みがストーリー上で全く表現されていないのが興味深いなあと思いました。
俺はヴィエラで行く
ララフェルを数か月満喫して、そろそろ本体アウラに戻ろうかなと思っていたところに見た映画だったので、ネットゲームでのアバターというものについて色々考えてしまったのでありました。
なりたい自分になれる世界が仮想現実であるならば。
自分は自分。これ以上良く見せる必要も演技する必要もない。
私は役者じゃないから、別人を演じることはできない。
だから自分がなりたいと思う姿で仮想現実を生きても誰にも責められない。
そう思うと、気持ちが軽くなってきたぞ!というところに先日のPLL。
吉田P「ヴィエラ女の髪型、6.0で追加します!」
自分「うおおおおおおおおおおおおおお!暁月のフィナーレはヴィエラちゃんで行く!」
パリーン!
自分のヒカセン像は中二病こじらせ系なので、黒ゴスが似合いそうな感じにしてみました、初の3顔です。今思うと、希望の園エデンに出てくる「ガイア」にイメージが近いですね。ああいう感じで黒髪+黒服を格好良く着たいところです。
やはりウコンバサラかっこええ。
自分は、格好よい&綺麗で甘すぎず、そこそこ筋肉のある女性キャラを使うのが好きです。筋肉量および適度な高身長、頭身とお顔もクリティカルヒットで問題は髪型の不自由さだけでした。髪型問題が解決するとヴィエラの時間が長くなるのかなあ。やっぱりアウラに戻るんやろんかなあ…どうなるんだろう。
たまに「ララフェル成分が足りない」といって縮むのは相変わらずだと思うが!